官房長官に要望書/池田小PTA

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児童殺傷事件 小泉首相に現場見てほしい 池田小PTA代表ら官房長官に嘆願書

2001.06.28 新聞 読売大阪朝刊 31頁  


 児童殺傷事件に見舞われた大阪教育大付属池田小の大谷一哉・PTA会長ら父母の代表六人が二十七日夕、首相官邸を訪れ、小泉首相の現場視察を求める遺族の嘆願書と、児童が書いた小泉首相あての手紙約五百通を福田官房長官に手渡し、「ご遺族と在校生の気持ちをくんで全面的に協力してほしい」と要請した。福田長官は「二度とこのような痛ましい事件が起きないよう、しっかり取り組みます」と約束した。

 嘆願書は、亡くなった八人の児童の遺族の連名。「首相に現場を見てもらい、再発防止を考えてほしい」と求めている。

 一方、児童の封書は一人一人、学校再開への願いなどのメッセージをしたためたもので、二十四日の保護者説明会で回収された。

 手紙の束を受け取った福田長官は四、五通を開封。黙ってかみしめるように読んだ後、「総理にも会いますか」と言い、首相との会談を設定しようとしたが、調整がつかなかった。

 大谷会長は「手紙の内容は私信なので公表できないが、気持ちは十分伝わったはずです」と話していた。

 大谷会長らはこの後、岸田文雄文部科学副大臣を訪ね、「遠山文部科学相にも現場視察してほしい。先生方が大変疲れているので人員補充などの配慮を」と要望。岸田副大臣は「児童の心のケアには長い時間がかかる。長い目で見て、対応していきたい」と答えた。 


【解説】
理不尽な事件に巻き込まれて、子供さんを亡くされた親の心情は察しても余りある。
そして首相に現場にきて見てもらい再発防止をして貰いたいという気持ちも分かる。
また、学校を建て替えて欲しいという気持ちもわかる。
学校の建て替えについては文部科学省は早々と前向きの方向を打ち出している。
作家の曽野綾子は新聞紙上に寄稿し「すぐ立て直すことが必要か」と題して疑問を呈している。

「 何というぜいたくを!と私は思った。文部科学省のただの一人も、そんな発想は世界の経済の実情の中で、恥ずかしいほど甘い考えだ、と言うことができなかったのか。文部科学大臣も副大臣もすべてそのことに賛成だったのだろうか。日本の教育は、ついにここまで子供を甘やかし過保護にすることになったのか。

 世界には、死体が着ていたのでもいいから衣服がほしい人たちがいくらでもいる。草葺の屋根に苫(とま)を廻しただけの学校、トイレなどないから子供たちがその辺の草むらでオシッコをする学校、はごく普通だ。机も椅子もない、電気もない、給食などというものは食べたこともない、教科書がない、他の運動具はもちろんボール一つない学校、もいくらでもある。学校の建物そのものがなくて大木の蔭で砂に字を書く学校もある。校舎があっても公共の乗物がないので遠くて通学できない。家では、牛追い、農作業、弟妹の世話、薪運び、水汲み、をしなければならない。男の子は一、二年しか学校が続かない。女の子は初めから教育は必要ないと思われている、土地もたくさんある。

 今ちゃんと機能している校舎を、事件の思い出が忌まわしいからというだけの理由で棄てる。そんな発想は金持ちのばか息子のわがままとそっくりだ。そんなぜいたくを納税者はどうして黙って許すのか。はっきり言おう。教育とは、生と死、善と悪、の双方に毅然として立ち向かうことだ。時にはその苦しみや恐怖と、いかに幼くとも闘わせることだ。現世にはあらゆる願わしいことと願わしくないこととが、可能性として常に残されている。そのどちらにめぐり遇っても、思い上がることなく自分を失うことなく、その運命に耐えぬく力を養うことこそ、教育なのである。」

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前に、校門に子どもの生首が置かれた学校があった。
そのときに学校の移転の発想があったのかどうか知らない。

日本中、学校警備フィーバーである。
警備会社や監視カメラ業者が各地の教育委員会に押しかけている。

何か事件があると、対処療法的に対策会議が開かれる。あるいは商売の種にしようとする動きがある。
ある面では、一般受けのする対策を打ち出さないと何となく自治体の長や議員の責任を果たしていないように思われる。
バタバタ決めた対策などは、金だけ使って暫くたっら元の木阿弥ということも多い。

もう少し、じっくりと事の成り行きを沈思黙考して行動に移すということが出来ないものだろうか。

昔から人が亡くなると喪に服するという習慣がある。
やはり、一定期間は故人を偲ぶという期間があっても良いのではないか。
学校全体を服喪期間にして、回りの商店街などもひっそりとした雰囲気にしたいものである。
子どもたちや先生や親をゆっくり休ませる事が必要なのではないだろうか。
心のケアとか言って、先生を子どもたちの家に家庭訪問させているが、出来れば先生にもゆっくりと休ませる配慮が必要である。
一切の動きをとめて静かにする。
よく演劇などで間合いという沈黙の時間がある。
沈黙していることが無駄かというと、そうではなくしっかりと次の動きに繋がっている。
PTAなども今バタバタしないで、亡くなった子どもさんの冥福を祈り、子どもを亡くした親御さんの思いを共有する
そのような時を持って、その上で行動を起こしたほうが良いのではないかと思うが如何であろうか。


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