民間採用校長が自殺

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民間から採用の校長自殺*受け入れ不備を露呈*研修2日で大規模校*教頭病欠で負担増*県教委など胸中察せず

2003.03.11 北海道新聞夕刊全道 12頁 2社 (全1022字) 


 銀行マンから教育現場に転身した小学校の校長が九日、自ら命を絶った。広島県尾道市立高須小の慶徳和宏校長(56)。校長を任命した広島県教委には、動揺が広がった。未知の校務、教職員との関係づくり、企業と異なる組織形態…。その中で悩んだ校長の死は、全国でも先進的に民間人校長の採用を進める県教委に、支援態勢と配置の在り方という課題を突き付けた。

 「先生たちの考えが分からず、私の思いも伝わらない。民間企業と命令系統も大きく違う」−。

 昨年七月。県教委が民間出身の校長六人を対象にした研修で、慶徳校長がこう漏らした。

 その二カ月前、教頭が病気で倒れ一時、心身の状態が不安定になっていた。別の教頭を配置した県教委は「十月の研修では明るさが戻り、仕事は軌道に乗った」と見ていた。

 その裏でしかし、慶徳校長はPTA役員らに「辞めたい」「校長になったのを後悔している」と打ち明けていた。いつも内ポケットに「辞表」をしのばせていたことも、周辺の校長らは知っていた。

 就任前、慶徳校長が受けた研修はわずか二日間にすぎない。環境が大きく異なる職場の責任者として、トレーニング抜きで配置されたのに等しい。高須小は児童数約七百十人、教職員は教頭を含め三十四人。「初任校としては大規模すぎる」との指摘も周囲にはあった。

 今年二月、慶徳校長にとっては二人目の教頭も病気で倒れた。「未知の世界に不安はあったが、教頭に支えてもらった。頼みの教頭が相次いで倒れた慶徳校長の心労は、計り知れない」。県内の別の民間出身校長は、こう思いをはせる。県教委や市教委は、職員を派遣し、相談に応じてきたが、慶徳校長の胸の内を把握することはできなかった。

 今回の事態を受けて急きょ、記者会見した県教委の常盤豊教育長は「活躍を期待し支援してきたつもりだが、残念な結果となった」と述べ、自殺の原因を調べた上で支援態勢を見直す考えを示した。

 採用方法にも、課題が浮き彫りになった。今まで県教委は民間人校長の採用の際、経済三団体を通じて各企業に推薦を依頼。企業を通じ希望者が応募し、県教委が面接で合否を決めている。健康診断は「企業で定期診断をやっている」として行っていない。

 教育現場に新風をと、民間採用に駆け足で臨んだ広島県教委。三年目を迎える直前、受け入れ態勢の不備が一人の校長の死となって表面化した。


一言、二言
私が知っている範囲では広島県で校長が自殺したのは、世羅校長に次いで2人目である。
先ず、故慶徳和宏校長並びにご遺族の方には謹んで哀悼の意を表したいと思います。

 別の新聞では、校長は躁うつ病にかかっており、転任希望を市教育委に申請したが受け入れられなかったとの報道もある。
教育界ではまだ、頑張れが生きているようである。

 教師の精神病についての対策が言われて久しいが、未だ何の対策も取られていないと言っても過言ではないのではないか。
躁うつ病と言うと軽いノイローゼと受け取れれがちだが、死に至る病気でもあることはあまり知られていない。
発作的に自殺する可能性は高いので周囲の人は、特に注意する必要がある。

 文部省の肝いりで始まった民間採用の校長もはじめから躓いた感がある。
よく、教師が変われば、生徒が変わるなどと言われて熱血教師待望論があるが。

 環境整備もしないで、それもベテランでも難しい大規模校の校長を担当させるのは
最初から失敗することは目に見えていたのではないか。

 新聞には書いてないが、左系の組合が強い広島県、組合は最初から賛成ではなかったようである。
校長と言えば、権限があって自由に学校を自由に変えられると一般の人は思っているが。
校長なんて実際は何の権限も無いのである。
人事権は県の教育委員会にあって、勤務評定も出来ない。
民間の指揮命令系統とは全然違うのである。

 教師は、いわば個人事業主よろしく、出世をあきらめれば、自分の考えで勝手に行動できる。
まして、組合が強ければ何かと団体交渉でつるし上げして自分達の主張を通そうとする。

情熱だけでは勤まらない職務である。

 教育委員会と組合との板ばさみに会って、ノイローゼになるのが目に見えている。
教育委員会に支援を求めても、何もしてくれないないのが現状である。

 2人の教頭が病気になったのもうなずけると言うものである。
情熱だけでは、改革は出来ない。

 民間校長を投入する事よりも、急がば回れ、学校の管理運営を、教育委員会から、民間人を主体にした学校運営委員会に任せるなどの改革を行う必要がある。
それらの管理体制がしっかりすれば校長が生え抜きであるか、民間かを問わず良い教育が出来る環境ができるのではないか。
民間採用の校長はあまりにも安易なパフォーマンスでしかなかったのではないか。
これ以上犠牲者を増やさないようにしてもらいたいものである。

(平成15年3月13日 金山 武)


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