遺族と国が合意書調印/付属池田小事件

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付属池田小殺傷事件  安らぐ日ない2年、やっと一歩前に  遺族と国が合意書調印

2003.06.09 読売新聞社 大阪夕刊 1頁 写有 (全1135字) 


  大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)の児童殺傷事件で死亡した児童八人の遺族と文部科学省、大教大、付属池田小の四者が事件から丸二年を迎えた八日、同小に隣接する付属池田中学・高校メディアセンターで、国側の謝罪や総額約四億円の賠償金支払い、再発防止策などを盛り込んだ合意書に調印した。

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  調印式には、児童の父母十六人をはじめ、遠山文科相、稲垣卓・大教大学長、山根祥雄・付属池田小校長の計十九人が出席した。一分間の黙とうの後、遠山文科相が「真摯(しんし)に反省し、心より謝罪致します」と述べ、国として正式に謝罪。全員が合意書に署名した。

  調印後の記者会見で、父親の一人は「再発防止策は抽象的だが、『開かれた学校』よりも『学校の安全管理』の優先を確認できるなど、今後の方向性とスタートラインを示すことができた」と話した。

  遠山文科相の話「深い悲しみを乗り越えて一つの合意に達した。国としてやるべきことをしっかりと進めていきたい」

          ◇

  これに先立ち、追悼式典「祈りと誓いの集い」が午前十一時から、豊中市立市民会館で、付属池田小の児童や卒業生、父母ら約千四百人が参列して営まれた。

                  ……………………………………

  ◆「8人の天使たち」親の想い  要旨

  調印を受けて、8遺族はメッセージ「三回忌を迎えた『8人の天使たち』の親の想(おも)い」を発表した。要旨は次の通り。

  この2年間、心の安らぐ日は1日もありませんでした。親としてできる限りのことをしたいと思い、頑張ってきた2年間でした。

  つらい作業ですが、事件のすべてを詳細に知ることは私たちに不可欠でした。

  事実関係を掘り起こす過程で、この事件は、凶悪な犯罪を繰り返してきた加害者を放置してきた国、真の意味での再発防止策を講じてこなかった文科省、適切な対策を講じてこなかった大阪教育大、危機意識に欠け安全対策を講じてこなかったがゆえに外部からの不審者を容易に侵入させ、避難誘導・通報・救助活動の不備や遅れが目立った付属池田小等々の複合要因によって発生したもの、と考えるようになりました。

  昨年2月、文科省と責任の明確化に関する交渉を開始しました。11月になって、文科省は付属池田小の安全管理に不備があることをようやく認め、合意書の内容などについて協議を重ねました。

  合意内容は十分満足できるものではありません。とはいえ、国が自らの責任を認め、謝罪し、防止策に励むと約束した事実は評価しなくてはならないと思います。これで一歩前に進むことができた、と感じます。

  国には最善を尽くすことを心から誓っていただき、再発防止策を実効あるものにしていただきたい。私たちは合意を踏まえ、再発防止策をより具体化させ、また立法化も視野に入れた、さらなる活動を続けます。 


一言
 この件については、各紙が報道しているが、地元版での報道を参照する意味で「大阪版を」使わせていただく。

 「この2年間、心の安らぐ日は1日もありませんでした。」
というのが、被害者の家族の本当の気持ちであり、家族にとっては、補償や再発防止の合意が出来たといっても、あの時から時間が止まっていることには変わりがない。 今までは、国との交渉で気がまぎれていたが、これから本当の悲しみが深まるのではないかと思う。

 事件以来、学校の安全対策が進んだかと言うと。それなりには対策や施策が講じられたが、自治体によってもばらつきがあり。
安全からは程遠い状態であるのには変わりはないのではないだろうか。
監視カメラや警備員を増やしても気休めの域を出ていないのが現状である。

 もっとグローバルな対策が望まれる。
 ハードの面よりもソフト面の対策も必要ではないだろうか。
毎日のようにテレビドラマの中では人が殺されている。殺人が日常化している。
それを子供達が見て育っている。日本は、異常ではないだろうか。

覚せい剤や、麻薬を勧誘するメールがそのまま子供達の携帯電話に入って来る。
有効に取締りが出来ないでいる。
国会議員は何をしているのか。化石のような論理が罷り通っている。
不正議員を辞めさせるのも良いが仕事をしない議員を辞めさせる事も必要ではないか。

 犯罪に対する刑罰も軽くなる一方である。
犯罪に対する抑止力は検挙と刑の執行が適正に迅速に行われる事ではないだろうか。
オウム真理教の頭目の裁判も国費をかけて、重箱の隅を突っつくような審議がダラダラと、まるで弁護士の失業対策に利用されているかのように何年も続いている。

国民の司法参加も、何時の間にか、裁判員制度などという変な制度にすり返られようとしている。
司法の民主化は遠のくばかりである。

やっと判決が下りても、死刑反対運動とやらで死刑の執行が妨害される。
最近では、与党の有力政治家が先頭に立って妨害している。
国民の政治に対する期待を裏切るものである。

法に決められた刑が執行されないのでは、被害者は浮かばれない。
被害者にとっては、加害者の刑が執行されて、はじめて止まっていた時間が動き出すのではないだろうか。

グローバルな抑止力としては、迅速な裁判と国民感情に沿った量刑と迅速な刑の執行が一方で必要なのではないかと思う。

(平成15年6月12日 金山 武)


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