N賞作家大江健三郎氏歴史捏造に加担?

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「自決強制」大江氏・岩波を提訴へ

沖縄守備隊長遺族記述誤り、名誉毀損  産経 2005.2.24 13版 1面


 先の大戦末期の沖縄戦で日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする出版物の記述は誤りで、名誉を毀損されたとして、当時の守備隊長と 遺族が著者でノーベル賞 作家の大江健三郎氏と岩波書店を相手取り、損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こすことが二十三日分かった。
  訴えを起こすのは、沖縄戦で座間味島を守備した陸軍海上挺進隊第一戦隊長を務めた梅沢裕・元少佐(八八)と、渡嘉敷島を守備した同第三戦隊長だ った故赤松嘉次・元大尉の弟、赤松秀一氏(七二)。
  訴えられるのは、『沖縄ノート』(岩波新書)の著者の大江氏と、他にも故家永三郎氏の『太平洋戦争』(岩波現代文庫)、故中野好夫氏らの『沖縄問題20年』(岩波 新書)などを出している岩波書店。
  訴状などによると、米軍が沖縄の渡嘉敷島と座間味島に上陸した昭和二十年三月下旬、両島で起きた住民の集団自決について、大江氏らはこれらの島に駐屯していた旧 日本軍の守備隊長の命令によるものだったと著書に書いているが、そのような軍命令はなく、守備隊長らの名誉を損ねたとしている。
  沖縄戦の集団自決をめぐっては、昭和二十五年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記『鉄の暴風』で、赤松大尉と梅沢少佐がそれぞれ、両島の住民に集団自決を命じ たために起きたと書かれた。この記述は、沖縄県史や渡嘉敷島(渡嘉敷村)の村史など多くの沖縄戦記に引用されている。
  疑問を抱いた作家の曽野綾子さんは渡嘉敷島の集団自決を取材し『ある神話の風景』(昭和四十八年、文芸春秋)を出版。座間味島の集団自決についても、生存者の女 性が「軍命令による自決なら遺族が遺族年金を受け取れると島の長老に説得され、偽証をした」と話したことを娘の宮城勝美さんが『母の遺したもの』(平成十三年、高文 研)で明らかにした。
その後も、昭和史研究所(代表・中村粲元独協大教授)や自由主義史観研究会(代表・藤岡信勝拓殖大教授)が曽野さんらの取材を補強する実証的研究を行っている。
  (3面に関連記事)


?一言?
 混乱している戦場では命令が正確に伝わるのかどうか。

昔軍隊に行った人の話を聞いたことがあるが、まあ、戦場に行った人ではないが、内地にて軍隊経験した人の話ではあるが、あるときトラブルになって命令とはどういうものかという話になったときに聞いた話であるので、本当の前線ではどのように命令伝達が行われのかは知らないが、旧日本軍の命令伝達がどのように行われたかについては参考になると思う。

命令伝達は、司令部から見たら伝達であるが、受けるほうから見たら、命令受領ということになる。

週に何回か、命令受領という行事があったようである。

命令受領の日は、各班の伝令が、司令部に出向いて命令を受領する。

メモは許されない。

もし万一、敵にメモが渡ったら、作戦が敵に漏れるから、命令は口頭で伝えられ、語り部のように、記憶したものを班に帰って上官に報告するのである。

一言も間違わずに伝える訓練をしていたようである。

沖縄の戦場で、どのような命令伝達なり、命令受領が行われたかは知らないが

混乱した、負け戦の戦場で、伝令の通行もままならなかったことは容易に想像できる。

多分に現場にいたそれらしき者の発言が軍命令として一人歩きした事は十分考えられる。

軍人でなくても、警防団長とか住民を統括する立場のものの発言は、軍命令でなくても軍命令として伝えられた可能性は十分にある。

当時の国民の意識としては、民間のほうが軍よりも、情報が少ないだけに、教条主義に陥りやすかったのではないだろうか。

つまり、軍人は死ぬときに「おっかー」といって死んだけれども、民間人は「天皇陛下万歳と」言えと教えられていたが結に、むしろ「天皇陛下万歳」

と言わざるを得なかったのではないか。

私は、いま田舎で区長という職務にあるが、私の言ったことが反対に伝えられることはしょっちゅうである。

言わなかったことも、言ったこのになって。

言ったことが言わなかったことになっている。

そこで文書にして流しているのであるが、それでも中々真実がつたわらない。

戦場という混乱した中においては、人は自分の信じたいものを信じる傾向がある。

昔、復帰前の沖縄に行ったことがある。

琉球丸で、2晩ぐらい泊まったと思う。

新聞の整理ができなのでキスリングを友達に借りて

よろよろとして船にあがった。

新聞紙があまり重いので、後に、キスリングの肩ベルトと本体のとの接合部の壊れてしまって

往生した。

船底で食べた豚肉が入った混ぜご飯がおいしかった。

当時TBSから沖縄放送に出向していた、S部長には、おいしいハンバーグをご馳走になった。

日本式の粉が入っているやつではなくで、アメリカ式のジューシーな本物のハンバーグである。

彼が、言うには、デモ行進があると、取材して、その内容を放送するのであるが

派遣した記者が、取材するのではなく、一緒にデモ行進に参加して、終わると会社に帰って

記事を書いていると言って嘆いていた。

そんなわけで、当時の沖縄の放送や新聞は反米で固まっていた。

当時の沖縄は、特殊な雰囲気があった。

一方で、アメリカを歓迎するムードもあった。

石垣島に行ったが、ご飯はなかった。

そのような貧しい状態では、補償があるということは

真実を曲げるのに充分考えられる。

やはり、軍部に責任を負わせて、補償金が出るのであれば

軍が悪いという証言は出てくる状況はあったのでないか。

そのような意味で、歴史の捏造が行われたこともあったかもしれない。

裁判の結果がどうなるか。

真実がどうなのか大いに注目したい。

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