靖国分詞の次は?

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<昭和天皇>A級戦犯の靖国合祀に不快感 元宮内庁長官メモ
(毎日新聞) - 7月20日14時12分更新


 昭和天皇が1988年に、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)について強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝はしていない」などと語っていたとされるメモが、当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)の手帳に残されていたことが分かった。昭和天皇は78年のA級戦犯合祀以降参拝しなかったが、その理由はこれまで明らかになっていなかった。間接的なメモとはいえ、昭和天皇の合祀についての考えが公になったことで、今後のA級戦犯分祀論議や首相の靖国参拝問題などに影響を与えそうだ。
 遺族らによると、富田氏は、74年に宮内庁次長に就任し、88年6月に長官を退任するまでの間、昭和天皇との会話などを日記や手帳に残していた。
 靖国神社についての発言メモは88年4月で手帳に張り付けてあった。メモはまず、「私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取(原文のまま)までもが、 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と記している。
 「松岡」はA級戦犯で合祀されている日独伊三国同盟を締結した松岡洋右元外相(東京裁判の公判中に死亡)、「白取」は白鳥敏夫元駐伊大使(同裁判で終身禁固刑、収監中に死亡)、「筑波」は66年に旧厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取りながら合祀しなかった筑波藤麿・靖国神社宮司(故人)とみられる。
 メモはさらに「松平の子の今の宮司がどう考えたのか」「松平は 平和に強い考があったと思うのに」などとしたうえで、「だから 私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」と記している。「松平」は終戦直後の最後の宮内相、松平慶民氏(故人)。「松平の子」は、長男で78年10月ににA級戦犯を合祀した当時の靖国神社宮司、松平永芳氏(同)とみられる。昭和天皇は松平永芳氏が決断した合祀に不満だったことを示している。
 昭和天皇は45〜75年に8回靖国神社を参拝した。
 富田氏は警察官僚出身で、72年の浅間山荘事件を警察庁警備局長として指揮し、74年に宮内庁次長、78〜88年まで同長官を務めた。その間の87年には昭和天皇が天皇として初めて開腹手術を受けることを決断した。退任後は国家公安委員を務め、03年11月、83歳で死去した。
 遺族によると、富田氏は昭和天皇とよく御所などで会話し、それらをメモなどに書きとめ本棚に保管していた。靖国神社をめぐる今回の発言については、富田氏が長官を務めていた当時、直接聞いたことがあるという。
 昭和天皇の不快感について、靖国神社広報課は「コメントは差し控えたい」と短く談話を公表した。【桐野耕一】
■富田氏メモ靖国部分の全文■
 私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
 だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ(原文のまま)
 ◇内容信用できる
 ▽「昭和天皇独白録」の出版に携わった作家の半藤一利さんの話 あり合わせのメモが張り付けられていて、昭和天皇の言葉をその場で何かに書き付けた臨場感が感じられた。内容はかなり信頼できると思う。昭和天皇は人のことをあまり言わないが、メモでは案外に自分の考えを話していた。A級戦犯合祀を昭和天皇が疑問視していたことがはっきり示されている。小泉純一郎首相は、参拝するかどうかについて、昭和天皇の判断を気にしないのではないか。あくまで首相の心の問題で、最終的には首相が判断するだろう。
 ▽A級戦犯 第二次世界大戦後、ポツダム宣言に基づいて開かれた戦犯裁判で、「中心的指導者」とされた被告。終戦間際に連合国側が定めた「平和に対する罪」に該当するなどとして、首相経験者や陸海軍高官ら28人が起訴された。極東国際軍事裁判(東京裁判)での48年の判決では、全員有罪(公判中に2人死亡)で、東条英機元首相ら7人に絞首刑が言い渡された。78年10月に絞首刑の7人と公判中や収監中に死亡した7人の計14人が靖国神社に合祀されている。
 ◇分祀論議などにも微妙な影響
 昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感を示していたことを裏付ける資料が発見されたことは、小泉純一郎首相の靖国神社参拝がクローズアップされる中、政界に根強いA級戦犯分祀論議に一定の追い風となりそうだ。ただ、靖国神社側は分祀について、これまで強く否定している。
 天皇参拝が途絶えたことは、78年のA級戦犯合祀に配慮したとの指摘がもともと政界に強かった。一方で、75年の最後の天皇参拝と合祀の間に約3年の空白があることから、国会で野党が天皇参拝を追及したことが原因、との反論も根強かった。安倍晋三官房長官は20日の記者会見で資料について「宮内庁からは『個人のメモに基づくもので、詳細を承知していない』と報告を受けている。天皇陛下の参拝については、そのときどきの社会情勢など諸般の事情を考慮しながら慎重に検討して宮内庁で対処してきた」と説明。小泉首相の参拝への影響については「首相自身が判断するものだ」と語った。
 A級戦犯については、自民党の古賀誠元幹事長、山崎拓前副総裁らが神社からの分祀論を提起している。かねて中曽根康弘元首相は「天皇陛下もお参りできるためには分祀が一番いい」と主張しており、今回の資料発見で天皇参拝の復活を求める観点からの分祀論が勢いを得る可能性はある。
 ただ、政界が分祀論議を提起することは政教分離原則に抵触するとの批判があるうえ、靖国神社側は分祀を強く否定しており、状況は複雑だ。【中川佳昭】


一言
宮内庁長官のメモ、何を目的にしたのか、テレビで見る限り、手帳に紙片がはさんであり、青いインクが昨日書かれたように色が鮮やか。
まずこのメモの真贋が問題にならないのはちょっとおかしい気がする。
まず紙片が新しい感じがする。あとで誰かが作って手帳に挟み込むことは造作も無いこと。
紙片が本物としても、どの手帳のどこのページにはさむかでも発言の時期はどうにでもなる。
まづ、メモの真贋が十分検証されていない。
マスコミは、その政治的な影響のみを誇大に報ずることに熱心に、検証作業は抜きにされる可能性がある。偽メモなどはどこかの国の情報機関であれば簡単に作れる。

それから、報道した日経新聞という会社。
いま、インサイダー取引で問題になっているが、新聞記者は、結構記事にする前にあちらこちらに当たってインサイダー取引をしがちである。
今回の発表タイミングが良すぎるのも気になる。
教科書の書き換え問題も一人歩きして、韓国との外交問題になって、現在でも歴史教科書に近隣条項がはいっている事があるが、実際には、侵略を進出と書き換えた教科書は無かったことがあとで判明したが、あとの祭りであった。
このように日本のマスコミは、おっちょこちょいのところがある。

 これからは富田メモなるものがまあ、疑わしいが富田氏が書いたとして考えてみたい。
 宮内庁長官というのは、天皇家の私的使用人ではない。政府の公務員、まあ役人だということである。
昔は、宮内庁というと天皇家にゆかりがあり、毛並みが良くてそれなりにしつけが出来ていた人しかなれなかったが、現在はそうでもない。
皇太子の人権発言をまつまでもなく、天皇家に好意的人間が宮内庁の役人になるとは限らない。結構悪意を持っている人間がなっているかもしれない。
北朝鮮ではないが、宮内庁の役員というのは、天皇家の世話をしているというより、天皇家を監視し政府に天皇家の行動を通報する役割を持っていると同時に、天皇家のすべにわたって、政府の意向を反映する役割を担っていると言ったら言いすぎだろうか。

今回のメモにしても絶対に外部に出してはならないものであった。

何故なら、いわゆるA級戦犯といわれる人たちのお陰で、天皇の戦争責任が不問にされたからである。
いわば、天皇の身代わりになって、従容として刑場の露と消えたのである。
終戦に至る1年ぐらい前から、彼らは、戦争を続けるよりも、国体の護持、すなわち天皇の命をどうして助けるかに腐心したのである。
彼らには、負け戦はわかっていた。
負けたあと如何にして天皇に責任を及ぼさないか。
その事が重大問題だったのである。

天皇の問題がなければ彼らは、簡単に敗戦を受け入れただろう。
ドイツが早く戦争から立ち直ったのはヒットラーに全責任を負わせることが出来たからである。
日本はどうにか身代わりを立てる事で天皇を守った。

しかしながら、それに納得しない国がある。東京裁判に参加しなかった中国と韓国である。
彼らにとってはA級戦犯でも、日本国内での位置付けは、天皇を救った忠臣なのである。
国会においても、彼らA級戦犯の赦免決議がなされ、靖国にも合祀されたのである。

A級戦犯の家族は、途中はともかく、最後に天皇を救ったことで忠臣だったと思っているはずである。
戦場で「天皇陛下万歳」といって銃弾に斃れた一般兵士よりも直接天皇の身代わりになったという点では功が大きいと思っているのではなかろうか。

靖国になぜいわゆるA級戦犯が祀られたかというと、靖国は戦争犠牲者を祀るというより、護国の英霊、すなわち天皇を護った人を祀る施設と考えるならば、祀るのは当然であるのである。

靖国神社は、天皇のために命をなくした人を祀ることによって、最終的に天皇を祀る神社である。
天皇から、祀ることを禁じられたなら、すなわち靖国の根拠がなくなるのである。

同時に、天皇のために命を無くした人を祀る事を拒否した天皇家は、人々から尊敬を受ける対象でなくなるのである。

日本においては、負け戦において主君を護って命を落とした人間を忠臣としてきた。
また、命を護ってもらった主君は、彼らを懇ろに祀ることによって、家臣の信頼をつなぎとめたのである。
かれらの敗戦の過失だけを責めて、祀る事を怠った主君はやがて家臣の信頼を失って没落するのである。

昭和天皇がこのような事を分からないはずはない。
富田メモによって問題は、思わぬ方向に動くかもしれない。
とかげの尻尾切りといくかどうか。

一部の政治家はA級戦犯の分詞を言い募っているが、彼らは、中国におべっかを使って、日本から中国に対する経済援助という無限賠償金を還流させることによって、おこぼれに預かろうという人たちだろうが、分詞問題が、天皇家の存続に発展する事に気づいている人間はすくないのではないか。

現に、中国は、今回のメモに反応していない。
今回のメモは、一見天皇の評判を良くする方向に議論されているからである。
彼ら、中国共産党の最終目標は、A級戦犯に代表される天皇護持勢力と天皇を分断し、最終的に天皇の戦争責任の追求することにあるからである。

(平成18年7月30日 金山 武)
(平成18年8月24日一分字句修正)


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