日本PTA全国研究大会参加報告
金山
1、期間:平成8年8月23日(金)〜24日(土)
2、場所:名古屋市
3、内容
3ー1、第二分科会(家庭教育)
 研究課題
@21世紀を生きる心豊かでたくましい子どもを育てる家庭教育(提言者:日P前母親委員長 加賀屋政子)
A家庭の中での父親・母親の役割(長崎県佐世保市立日宇中学校PTA会長 松尾祐幸)
感想:
1、@について
 アンケートを中心に発表があったが、「はじめに」の中で書かれている「家庭教育の重要性」が叫ばれているという認識の具体的根拠がはっきりしない、アンケートが何の目的でなされたがはっきりしない、家庭教育のという言葉の概念がはっきりしない。家庭における躾なのか、道徳教育なのか、情操教育なのか、親子関係なのか、漠然とした意味ずけのなかで行われたために、アンケートの結果についての結論も曖昧であり、結論の根拠がはっきりしない。
たとえば3)の家庭、学校、地域の教育力の中で「学校に委ねて来た家庭教育が、学校では対応しきれなくなり、家庭でしなければならないことと言われて何年も経ちます」とあるが、家庭教育がほんとうに学校に委ねられて来たのだろうか。道徳教育が学校で始まったのはつい最近なのではないだろうか。
 戦前の国家による国民の道徳についての統制の時代ならいざしたず。学校が家庭教育を分担して来たのだろうか。仮に、家庭教育が学校に委ねられて来たとして、学校で対応しきれなくなったら、家庭でやるというのはおかしいのではないか。学校の役割であれば、対応出来るように条件を整えれば良い訳で議論のたてかが無茶苦茶ナノである。
 本来学校でやるべきことと、家庭でやるべき事と、地域でやるべきことを整理して議論する必要があるのではないか。
 母親委員会なるのものの位置づけもまた、未だに曖昧模糊としているのはどういう訳なのか。役員会の中での女性を増やすのではあれば、役員の男女比率を決めればいいわけで、単Pでは通常半々になっているはずである。中央での役員の比率であれば、中央の各役職の男女比率を決めればいいはずで、姑息な手段をとるからろくなことにならないのではないだろうか。ほんとうに今後どうするつもりなんだろうか。母親委員委員長を理事に加えれば良い問題ではないような気がする。現在の県連合会の会長が理事になる方式ではなく、各県男女1名ずつの代議員制にするとか抜本的に改正する必要があるのではないだろうか。
話しが、横道に外れるが、単Pの女性会長はちらほら出て来ているが、県P会長に女性を期待するのは現状では無理である。県Pの会長が単Pの会長でなければならない現状では女性でなくても負担が重すぎる。県Pと単Pを切り離す必要があるのではないか。
2、Aについて
「PTA活動における親子のふれあい」について松尾氏の発表があった訳であるが、生徒数1086人職員数23名のマンモス中学校で「親子ふれあい大会」を開催しているとのことである。
現在東南小学校の親子レクレーション大会を大きくしたもので、文化行事と体育行事、バザー等の12行事を一緒の日に(半日)行っている様である。大会を開くまでの打ち合わせの中でお互いの親睦が図れるようである。
 また、「すすかけ放送局」という広報誌で保護者の「いいたいほうだい」子ども代表の全国のお母様に贈る言葉や、子供たちかや父、母にへのメッセージ「ねえ聞いてよ」先生より「親に言いたい事」などのユニークなページが有ります。
 それから、会長が空手道場を主宰しており、その中で健全育成をはかっているとの発表が有りました。
気になったことが一つ、問題生徒を空手の指導中になぐることにより指導しているが暴力ではないとの趣旨の発言したが、だれからも質問、反論がでなかった事。日Pの調査(たしか8月に新聞発表されているはず)によると保護者の80%が学校での体罰(暴力)を容認していることの反映か。
 「暴力」によって、「父性の確認」、「愛情の確認」が行われるケースがあるが、それは丁度針灸師による治療のように専門家がやれば効果がでるが、誰がやっても良い結果を得るとは限らない。むしろ、逆効果になったり、支配と隷属が継続することになり健全な人格の発達が疎外される方が多いのではないか。
 民間のスポーツ指導者が保護者の負託によって、指導するのは親権者の監護権(懲戒権)の延長との解釈も成り立つが、教師の場合は予め法律で禁止されているわけで例え部活等の中であっても、また、親との契約(依頼が)あったとしても法律の方が優先するわけで、公務員としての教師には許されないことを再確認して置く必要があるような気がする。
3、指導助言について
 @愛知教育大学 魚住忠久
 「人間は、自分の意志で生まれて来たのではない。だから、教育をして一人前の人間にしてやる必要がある。そのことに家庭教育の意味がある。」と話されたが、私はオヤどこかできいた台詞だなと思った。「好きで生まれてきたんじゃねいや! 勝手に生んだんじゃねーかよ! 」非行少年、少女の理論武装の道具である。
 人間は、本当に自分の意志で生まれて来たのではないのだろうか。2億とも、3億ともいわれる精子が卵子に向かって泳いでいるときに「生まれたいという意志」がないのであろうか。唯、漂っているのが偶然に卵子に接触したのであろうか、テレビなどで見ると必死に卵子に到着しようという意志を持って泳いでいるように見える。
 そのことは、受胎の瞬間からいやその前から「生まれたい、生きたいとの意志」を持っていると考えられないだろうか。受胎の瞬間から人間であるのではないだろうか。その間接証明として様々な生命活動が確認出来る訳で、一定の機能や意識が発生した段階で人間とみなすという考えをとるのであれば、意志を表明できない精神障害者は「おまえは人間でないと判定される」危険性を孕んでいると言わなければならない。
 良く、教育は「引き出すことだ」といわれるが、何もない所から引き出せるはずがない。引き出せるということは、既にあるものを発現させる事である。既にあるものとは、人間が生まれる前から存在するあるものなのである。
 ある施設から女の子を里子を出す時に、この子は余り器量が良くないのですがと施設の職員がいったのに対して、その里親は「美人に育てますから」と答えたと言う。
 「ほめる教育」の神髄がその里親には分かっていたらしい。
4、全体会議
 奥田文部大臣:学校週5日制に伴って、授業内容を検討する審議会を8月27日に発足させる。
 →今世紀最大の愚行ともといわれている学校教育のスリム化の検討がいよいよ始まった。日P会長は賛成らしいが、一般PTA会員には今一人気がないようだ。なんでも楽にすれば良いと言うものでもないという声もある。
 学校が楽になった分だけ、そのしわよせが家庭や地域に押し寄せて来る。民間会社の週5日制の場合は、中間の祝日を休まないで5日制にしているところや一日の労働時間を延長して達成しているケースが多いわけで、先ず、5日制というのであれば、授業日数は変えないでその分夏休みをへらしたどうかという声もある。
 偏差値入試の廃止についても現場では、まだ、混乱と戸惑いが続いているなかで、急激な教育改革が果たして必要なのか、いじめの問題の解決も未だ満足に出来ないで、もたもたしているなかで、一年半という通常の審議時間の半分の時間で拙速で結論を出す必要があるのかどうか。また、審議の結論が出たときの政治状況はどうなっているのか。
5、鼎談
5ー1、山田太一
一般論で突き進む事の危険性
5ー2、俵万智
 誉める教育の行き過ぎとしかる事の大切さ→電車の中で駆け回っている子供達に注意する事に躊躇する大人が増えている。
 現地ではそうゆうこともあるなと思ったが、良く考えて見るとおかしい。
 そもそも電車の中で駆け回っている子供達がどうして出来たかと言う事を考えて見ると。普段ほめられている子供たい達が、駆け回っているのか、又は、普段口喧しくしかられている子供達が駆け回っているのかという事である。
 私の経験では、電車の中で駆け回っているような子どもは、感受性が麻痺している訳で。通常、一寸注意下ぐらいでは、大人しくならない。普段ぶんなぐられているせいで、ぶんなぐられなければ注意されたと感じないような子どもなのである。従って、注意でもしようものなら反撃して来るような種類のこどもでそのことを分かっているから注意する気にならないのではないでしょうか。
 「誉める教育」と言うと、おだてる→増冗漫→手におえない我が侭なこども と考える種類の人間が多い。何故そのように考えるかと言うと、「人間は不完全で罪深いものである」と人間を見ているのである。
 従って、欠点を指摘し、しからなければならない。また、動物のように罰をあたえることによって学習させなければならない。と考える訳である。
 本当の「ほめる教育とは」、人間を「完全で、神と同等の能力を本来もっている」と考える宗教団体が信者の母親に伝授した宗教行としての教育方法であり。子どもを「神としてみること」子どもに接するに「和やかな顔」、「やさしい言葉」、「賛嘆(良い事を誉める)」を実践する事により、「子どもが本来もっている良い面をひきだす」ことに顕著な効果があったことから教育関係者の注目を得て一般の「誉める教育」といわれているものになった訳で、普及の過程で「誉める」という形だけをまねて、「子どもや人間をどう観るかという部分」がなおざりにされている部分もあるわけでその弊害も出て来ている訳です。
 「おだてると」「ほめる」の違いは、天地ほど違う。「おだてる」はそのことによって支配する訳です。従って「おだてる」場合は必ずその反動がくる。おだてにのらなくなる訳です。
 「ほめる」の場合は、一緒になって喜び、出来た事を感謝する訳です。従って、誉められたことが動機となって今までの悪い面が消えてゆくのです。
 誉められて、育った子どもは、感受性が高く。善悪の判断が自ずから付けられるようになります。電車の中で駆け回るようなことはしない訳です。

全国大会に初めて出席して感じたことは、準備の大変さです。3メートルおきに案内板を持ったお母さんやお父さん。分科会毎の受け付けや会場案内。会議録の速報版が翌日には配られる。
主催者側の意気込みが感じられました。会場もすごく立派。しかし、中で話される内容は勉強不足が目立ちます。
やはり、殆どが一年交代の役員では議論の深めようもないのかも。役員を長く続けられる環境整備が必要なのではと感じられた。