3個で2ドルのドーナツ

3個で2ドルのドーナツ


 九州からの帰りの飛行機の中で見た週刊誌(9月11日号の週間文春)の中で、上前淳一郎氏がアメリカの教育のことを書いていた。

 小学校高学年の算数の応用問題:1個1ドルのドーナツを3個2ドルで買いました。いくら得したでしょう。上前氏の子供はもちろん1ドル得したと答えた。採点は○。ところがアメリカの子供は、1ドルの損と答える子もいるし、0ドルと答える子供もいる。全部正解だと言うのである。授業参観のあとの教師との話し合いで聞いてみた。アメリカ人の教師の答えは、どうして日本人の子供は皆1ドルと答えるのだろう。

 アメリカの子供は、1ドルの損と答える子もいるし、0ドルと答える子供もいる。全部正解だと言うのである。理由は3個買っても、1個しか食べられないからあとの2個は捨ててしまう。だから1ドルの損、自分は一個食べて、後は犬にやったから損も得もない。

 必要もないのに安いから買うというのはいけない。無駄使いだ。そういうことをしっかり教えるのが教育だと言ったそうである。

 その話しを聞いて私は日本の教育とずいぶん違うなと思った。

 発明王エジソンの話しでも、同じようなことが出てくる。算数の問題で、1+2は2と答えて落第した。その時エジソンはさっきの話しと同じく、3つ買うと1っ個おまけしてくれるので2と答えたと言うのである。エジソンの母親は、そんな学校は行かなくても良いとして、学校教育を受けさせずに自分で教えた。という話しを聞いたことがあります。

 何年も前から、この話しは殆どの人が知っているはずだが、この話しを聞いて、日本の学校教育に真剣に取り入れようと考えた人が、いたのかどうか。もしそんなことを言ったら日本では変人扱いされるのではないだろうか。
 しかし、アメリカではきちんとエジソンの話しが反省されて教育に反映している。

日本では算数教育世界一と言っているが、算数嫌いも世界一なのではないだろうか。

本当に役立つ教育になっているのかどうか。

 もう一つ、ノーベル賞の湯川博士が、最初は数学を目指していたが、証明の方法が違うという理由で答えが合っているのに間違いとされた。そのことがあって物理学に進まれたという話しを聞いたことがある。

数学は答えが一つしかないから好きだと言う人もいれば、答えが一つしかないから嫌いだという人もいる。

 数学は森羅万象すべての事象を数式にあらわせると言っているが、本質はそうであるが、教え方は、まだまだである。

 数学が本当に真理を説くならば、先ず、解は無数にあることを教えなければならない。


学校の成績が悪くても世の中で成功している人が沢山いる。学校の成績が良くても出世街道登りつめて、刑務所に入る人もいる。

 アメリカの算数ではないが、答えが3つあるのに1つしか正解と認めない誤りを百年以上行って来たことに原因がないか。


 もっと反省する必要があるのではないだろうか。

 最近やっと英語教育のあり方が批判されて、読み書き教育から会話教育に変わって来ているが、インドネシアの中学卒業生は日常会話程度の実力があるそうである。日本では高校を出ても中々会話が出来るまでにはなっていない。中学校で学校教育を終わる子供が僅かながらいることを考えと。中学校である段階を完結するような教え方をしなければならないのではないだろうか。
 高校が大学の予備校、中学が高校の予備校、途中で終わる子供には役にも立たない無駄なことばかりになってないか。
 中学後半に学校が荒れるのは、中途半端な段階で終わることへの反発がないか。このことを考えると、もっと色んな教科で役に立たない、独善的な教育が行われいないか、学校教育の中身を見直す必要があるのではないでしょうか。


(H9.9.7)