地球内生命

地球内生命



 映画「contact」は、地球外生命にコンタクトする話しですが、
地球外生命をテーマにするとき、自ずから「地球内生命」を描き出しています。
 コンタクトする人間を決めるとき、最後の質問で「あなたは神を信じるか」が発せられて、95%の地球人が神を信じているのに「神を信じない人間」を地球の代表者にする訳にはいかないという理由で主人公の「エリー」が降ろされてしまう。
 世界の95%の人が神を信じているというのはオーバーとしても、神を信じている事が、社会でに受け入れられる条件であるのが世界の大勢であるようである。
 ところが日本では「神を信じないこと」が社会に受け入れられる条件になっているような気がする。
この世界とのギャップをどうするのか。
 仏教では「無明縁起」を説き、現実生活は「まぼろし」に過ぎないと説いている。仏教が発祥した国、盛んになった国はことごとく滅び、現在、唯一残っているのが「日本」である。
 さて、エミーの代わりに「神を信じている」と調子を合わせた「ドラムリン博士」が乗ろうとしたら、アメリカに作られた「宇宙間移動装置”ポット”」は狂信的宗教家に皮肉にも破壊されてしまう。
 密かに日本が下請けで作った”ポット”に、われらの「エリー」が乗り込むのであるが、エリーの後を二人の日本人が無表情で、まるで刑務所の死刑執行官のようにして後ろからついてゆくシーンがある。
 金もうけばかりに感心があり、ロボットのように「神を信ぜず」黙々とだだ命令通り仕事を正確にこなす人間として、日本人が描かれている。
 世界の日本人のイメージはそんなところらしい。
 この映画が世界中で見られ、そのような日本人観がそのように受け入れられるとき。
 「神を信じない」ロボットの一種、それが日本人。金さえ出せばなんでもやる日本人。金のために、家族を置いて世界の果てまで単身赴任で出かける日本人、そんな日本人が更に定着する
 世界中を駆け巡っているビジネスマンは各国にいるが、バカンスをとり家族を大事にしている。 休暇もとらず働く一方の日本人。
 そんな日本人は、偉いと思われるよりも、馬鹿、または、人間ではない人間とだと思われているのではないだろうか。
 どうすればいいのか。改めて考えさせられる映画である。うがった見方をすれば、日本人の啓蒙を意図した映画ともとれないことはない。
 PTAの会合などで良く「仕事なので」というと、欠席する立派な理由になります。
 ところが、去年のある県のPTA連合会の副会長などは、「200万円ぐらいの出費と営業機会損失はあると覚悟して役員を受けたが、やはりそれくらいにはなりますね」と語っている
 日本でもエリートの幼稚園などでは、仕事と言うことは理由にならない。どんな大会社の社長であろうと、父親参観には本人が出席しなければならない。仕事で出席出来ないなんて言えば、たいした会社でないと思われるのだそうだ。
 たしかに、子供にとっては父親の代理はいないのである。
 代理のきかない仕事なんて本来無いのである。その会社のマネジメントが悪いのである。部下の仕事が一番出来る奴がボスになる。だから部下が休んでも上司が代行出来る。自分の仕事を部下が出来ないのであれあば、部下の育成が悪いのであって、上司の資格がない。
 そのようにマネジメントが出来ていないのである。
 日本では、過去の実績で役職が決まる。だから守役が必要になる。
 現職の時の給料が低い代わりに、天下り先での収入が期待できる。
 能力が落ちて要領がいい奴が上司になる(映画の中でエリーの成果を全部横取りするドラムリン博士のように。(映画では「ここ掘れワンワン」の隣の親父のように後で酷い目にあうのだが現実は中々そうはならない))。
 部下がいないと何も出来ない上司が多い。
 徹夜して作った資料の何パーセントが実際に使用されるか。殆ど使用されずにボツになる。
無能力な上司の保身のための想定問答集に付き合わされているのである。
 無意味な仕事が多すぎないか。
 無意味と言えば、日本の道路なんか年柄年中掘り返えされている。土木会社と政治家が結託して、わざと何回にも分けて工事をしているという話しもある。
 年末になれば、道路がやたらと掘り返される。
 貧困者の年越し対策らしい。年越し対策ならば、外国のように無料の給食センターをつくればいい。
 必要のない、道路工事をされて、交通渋滞を引き起こし、損失を新たに生み出すよりは。その分の金を直接給付した方がよっぽど良いのではないか。
 失業率などもそんなこんなで、なんだかんだとメーキングされて本当のところが分からなくなってきている。
 住宅建設、自動車。何でも「早く、早く」である。
 住宅建設は建設中のアパート代がもったいないから「早く、早く」。  昔の住宅建設は百年以上持つものを目指して、職人は技術を磨いた。土地が鎮まるまで柱を立てず。柱を立てても屋根をのせただけで最低半年は風に晒しておいた。職人を急がせでもしたら「ぷいっと横を向いたきり」絶対に仕事をしなかった。「金のために仕事しているんじゃねー」と言って膝小僧を抱いてふて寝している「ツッパリ」があった。
 江戸時代の「浮世絵」も芸術家が作ったものではなく、「職人」が作ったものが、世界の美術界で一級品として認められている。
 自動車にしても、2年先の自動車を予約して、出来あがるのをじっとまって、待っている時間を楽しんでいる。それを又10年も乗る。そんなゆとりの生活を楽しんでいる国もある。
 それが、人間の生活である。
 せかせかと急いで、どうしてこうなってしまったのだろう。
 別に昔の職人は家に住んでいた訳はなく、掘っ建て長屋に住んでいたわけだし。
 昔から、成り金趣味と言って、つまらない事で自分を偉く見せようとすることがあったが、日本人は総成り金になってしまったのか。
 コマーシャルになると急に大きな音になるテレビ。「洗剤の広告で」洗いあがりは「未だ洗っていない新品が写されている」ことを皆知っていて、誰も文句を言わない。そこで食ってるマスコミ人。
 などなど、地球内日本の問題点が見えてくる。
 近年、アメリカ文化が散々批判されているが、「contact」のような、「くさい」映画が作られるのを見るとアメリカの「夢」や、「元気」がまだ健在だなと感じさせる映画であった。
一見の価値はあると思います。
(9.9.14)