「except]

「except]


パスポート  さかのぼって昭和34年頃、場所は福島県の郡山駅、北朝鮮へ帰還する人たちが毎日、毎日列車で次々と到着し、ホームにあふれかえっていた。  東京方面から、また東北地方から東北本線で郡山に着いた人々は、郡山から磐越西線に乗り換えて新潟まで列車でゆき、新潟港から北朝鮮に船で渡ったのである。  その、郡山駅のホームで、私達JRC団員は他校のJRC団員と交代でホームで何回か湯茶の接待をしたことがあった。  それっきり、そのことは記憶のかなたにあって別に思い出すこともなかったが、昨今、日本人妻の里帰り問題が報道されるにあたって、関心が呼び覚まされた。 右の写真は昭和55年(1980年)の2月に台湾に行くために滋賀県でとった、私のパスポートである。  そのパスポートの3ページには次のように書かれている。  「渡航先 This passport is valid for all countries  and areas except North Korea(Democratic People’S Republic of Korea)」  その時は、英語の事でもあり別に気にもしていなかったが、その後、アメリカに行くのでパスポートを取り直し見比べている時に発見した。  「渡航先としてすべての国及び地域に有効であるが北朝鮮を除く」と言う意味らしい。
因みに、現在のパスポートにはこの文言は記入されていない。


 つまり、北朝鮮への帰還事業が終わって大分経った、昭和55年頃は日本から北朝鮮に行っては、いけなかったのである。  北朝鮮からも来れなかったし、日本からも行けなかった。  日本人が北朝鮮に行くことは禁止されていた。 どのような経緯で北朝鮮の帰還事業がすすめられたかは知らないが、行った人たちは本当に2〜3年で帰えってこれる事を信じていたのだろうか。  帰還事業は例外中の例外、この機会を逃したら絶対に北朝鮮に行けない、  日本脱出の好機と考えた人もいたのではないか。
   日本政府の本心は「except」だったのではなかったのか。  帰還事業に携わった人たちのその後の行動はどうだったのだろうか。 分からないことだらけである。
 新聞なども、無責任と言えば無責任、「地上の楽園」とか何とか言っちゃって、さんざん宣伝しておいてあとは知らん顔をしている。  行って幸せになった人、不幸になった人。  人の運命はわからない。  我々は国など意識しないで暮らしているが、国というものがこんなにも人の運命を変え、支配する存在であるあることは今まで分からなかった。
 人は、生まれる国を選べない。
北朝鮮に渡った人たちは国を選んだ数少ない事例とも言える。
幸せになった人、不幸になった人。
国を称える人、貶す人。  国の存在をあらためて感じさせる最近である。(H9.11.15)  
論文集に戻る