殿中でござる(その2)「武士道不覚悟」


ところで、吉良上野介が何故世論の支持を失ったのであろうか。
殿中で切り付けられても、反撃せずに模範的な行動をとったのに。
世間の評判は段々悪くなっていく。
賄賂を取ったからであろうか。
匠の守を挑発したからだろうか。
私は、あまりにも模範的な行動そのものに問題があったのではないかと思う。
当時、元禄時代はバブルの最中で世の中は浮かれきっていた。
しかし、武家は武家としての締め付けの中にあった。
武家が、私闘や辻斬りで死亡した場合。刀を抜いていなければ、「武士道不覚悟」
で断絶となり。相続できなかった。
そのため、大概は切られても切られ損で、泣く泣く病死として届けるしかなかった

刀を抜いて抵抗した形跡があれば、仇討ちが許可され、仇討ちの後にお家再興が許
された。
しかし、実態は仇討ちと言うことよりも、殆どは、病死で届け出て、相続を許可してもらう。その際、賄賂は必須であったことは想像に難くない。
そんなこんなで、武家社会では賂は当然のこととして行われていたと思われる。
従って、賂が非難の的になったということでは無かったのではないか。
むしろ、武士としての美学に反したところにその原因があったのではないかと思う。
建前としての武士は、在戦場であらねばならない。実際の戦闘力がなくても、鎌倉以来、武士は一朝事あるときは戦場に駆けつけなければならない。建前としての戦力を保持していなければならない。
果たし合いを申し込まれれば受けなければならない。
決闘であれば、負けても、内々、病死で届ければなんとか事が済んだ。
ところが、事件は衆人環視の殿中で起きた。刀も抜かずに逃れ去った上野介は、武士か否か、公家との窓口としての役割があったとしても、武家は武家、あれでよいのか、と言う問題が残った。
当然、処分としては、喧嘩両成敗ということで両方に処罰が下るものと考えられた。
ところが、裁く方は、法的には、上野介は何の落ち度もない。むしろ、殿中をわきまえて怒りを押さえたのは殊勝である。ということで積極的におかまいなし。
一方匠の守については、むしろ、今後の不祥事の再発を防止する上からも、見せしめとして、切腹、お家断絶させる必要があった。
ところが、今まで、喧嘩両成敗になれてきた武士団は納得がいかない。上野介は武士道不覚悟ではないか。刀も抜かずに逃げ出すとは武士の風上にもおけない。
と、騒ぎだした。
ところで、黒磯事件もなにやら、松の廊下に似てきた。
被害女性教師は、職務中の事故(被害)として県の顕彰を受けるそうである。そして、文部省(文部大臣?)が国としての顕彰を言い出して来ている。
栃木県教育職員としての、顕彰および処遇面での特進は当然であり、それなりに納得できるものであるが。
文部大臣が言い出している「国としての顕彰」には動機として不純なものがないか。考えてみる必要があるのではないか。
顕彰することは、被害者としての先生の遺族にとっては、慰めになり良いことだとは思えるのだが、そのことだけで良いのか。
少年の親の無念さはどうなるのか。
事件発生に至るまでの、少年に対する指導は行き届いたものだったのだろうか。
保健室にちょくちょく出入りすると言う重要な変化点を学校としてどう対応したのか。
少年がナイフを持つに至った動機はなんだったのか。
少年は何から身を守ろうとしたのか。
産休明けの被害女性教員には十分な指導上の情報が与えられていたのだろうか。
学校の規模は適正だったのか。(先生が生徒全員の顔と名前を覚えられるような規模でないと今回のような色々な問題が起きやすくなると思われる)
などなど、疑問点が色々出てくる。
顕彰はそれらの問題の解決に一応の目途がついてからでも良いのではないか。
議論することが、死者を非難するような構図になりつつある。
教師の誰もが、被害にあう可能性があり、親の誰もが、犯罪少年の親になりかねないことを考えるとき。
被害者を顕彰し、少年を教護院にいれただけで一件落着でよいとは思えない。
先ごろ、文部大臣はある中学校に行って中学生の意見を聞いたそうだが、今日、ラジオでそのときの女子中学生の親から、「なんか、パホーマンスだけのような気がする。」「うちの子のように、ものを、はっきり言える子供から意見を聞いても何にも成らないではないか。ものを、はっきり言えない子供からじっくり意見を聞く必要があるのではないか。」との話があったことを伝えていたが。
色々な意味で我々は、「武士道不覚悟」なのではないかと思う。
PTAの理念は「こどもの幸せを親と先生が協力して作り上げていくこと」と言われています。
いまこそ、その理念に沿った活動が望まれると思うのだが。
本日(2月25日)、黒磯北中学校の柴田PTA会長さんから電話が掛かってきてお話しました。
NHKの取材などがあり、まだまだ大変だとか。
お声は大変元気でした。
(平成10年2月25日夜記す)