心の教育の前にやって置きたいこと
その3


心の教育の前にやって置きたいこと
その3
金山 武

3、先日、去年の郡PTAの役員で、少年野球の保護者会の会長をやっている人に会う機会があった。
雑談のなかで、今の子ども達はかわいそうだ。親が付いてないと遊ばない。全部親がお膳立てしてやって、遊ばせている。昔は野球は遊びだったが今は違う。
親がやれと言うからやっているに過ぎない。野球の試合の無いときが彼らが開放される時なんだ。と言う事をしみじみ言っていた。
最近、群馬県で中学2年生が相次いで自殺した。いずれも野球部のレギュラーやキャプテン。生徒会長も務めていた。
昔は、キャプテンというと仲間から愛される人間がなった。今は、部活のキャプテンやレギュラーになると「いじめ」に会うらしい。
親が、レギュラーにするために先生に付け届けをしたり、一杯飲ませたり、保護者会で熱心に活動したりするのが普通らしい。
小さいときから、レギュラーになれと言われ続けてきたのに、レギュラーになれない。
子どもも荒れるし、親同士が保護者会でもめたりする。
道具を壊されたり、ユニホームを破かれたり、女性名で偽せラブレターを出したり。
無言電話を掛けたり、色々な嫌がらせを受けることがあるようだ。(このようなことで相談を受けた事があるので結構あるのではないか。今回の自殺の原因がいじめかどうかはわからないが「友人関係の悩み」とあるのでその辺が原因ではないかと思う)
レギュラーになる目的の一つに高校受験がある。内申書(調査書)に部活での活動の記載欄があり、内申点をよくしようと考えてのことらしい。群馬県ではこの弊害を無くすため、内申書から部活の欄を無くし「その他の欄」に記入することにした。他の府県ではどうなっているのか分かったら教えて欲しい。
もう一つは、運動進学である。県大会で上位の成績をとると、高校側からのスカートがあったり。高校側の監督推薦枠があるようで、中学校の監督との話し合いでなんとでもなる。と一般に信じられている。
その為、レギュラーになっていれば、進学は心配ないと勘違いする。ところが、高校側も良く調べており、素行の悪いのとか、伸び切った者はとらない。
自分で勘違いしておいて、部活の顧問を恨み、学校を怨むことになる。よく、卒業式などにバイクで押しかけて来て騒音を撒き散らして走り回る子どもに部活のレギュラーだった子が多いのは、そんな理由かららしい。
もう一つは、もともと素行の悪い者を、部活に取り込むことによって、健全育成しようという考え方である。本当にスポーツマンシップに目覚めれば別だが、長時間部活にしばっておいて、非行する時間的余裕を与えない。何年か前に学校が荒れた時代がある。その時からどうも運動部にしばりつけて置こうという発想があったらしい。
3年生になって、部活がなくなった頃から非行に走る子が多くなる。単に押さえ付ける方法では重しがなくなれば、元に戻ってしまうのである。
運動部と言うものが健全育成に役立つ。根性やスポーツマンシップを養うと言われているが、どうもそうではないようである。
部活での、体罰と言う問題もある。先生が生徒に対して乱暴な言葉をあびせる。部活のなかはある面では治外法権的な面がある。これは、小学生のミニバレーでの経験であるが、負けると、親の見ている前で、生徒を並べておいて、スリッパで生徒を殴ったのを目撃した事がある。(我がチームではない)。
どうも、そのような先生がいると言う事は、彼自身がそのようにして育てられて来た事を意味しないか。社会もそれを知っていて、容認していたのではないか。
まもなく、そのチームはリーグ上位から脱落していったが。
勝つためには何をやっても良い。ということになっていないか。全てが勝つために動いていないか。
先輩後輩、絶対服従、そんな考え方が、根強く残っているようだ。
元々、近代オリンピックは金持ちの遊びとして始まった。それ以前は、奴隷が戦うのを見て楽しんだり、競馬のようにどちらが勝つか賭けるものだったらしい。
勝ちにこだわるのは、どうも未だ優秀な奴隷を作りあげるという段階のままのような気がする。
そろそろ、手段としてのスポーツから「遊びとしてのスポーツ」を取り戻す必要があるのではないか。