「殿中でござる!」

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「殿中でござる!」

 時は元禄15年、赤穂は浅野匠守が高家吉良上野守に、江戸城は松の廊下で刃傷に及んだのは、春、桜の花が咲くころであった。(余談だが上野とは今の群馬県のこと)
春、未だ浅き1月の末、栃木県は黒磯市で、中学1年の生徒が学校の中で、先生に切り付け、死亡させた。
 浅野の場合は、勅使接待の指南役(先生)、黒磯の場合は英語の先生にと云う事、場所も宮殿の中と学校の中、どちらも本来暴力事件とは一番遠い場所で発生している。
今回の事件はどこか似ている。
違うところは、浅野の場合は、幸か不幸か「殿中でござる」と、後ろから、羽交い締めにされ止められてしまった。
 今回は、止める者がいなかった。
彼には、其の日、3人ほど一緒に行動していた仲間がいたはずである。
しかし、誰も止めなかった。
休み時間の廊下であれば、結構周りに人がいたと思うのだが。
18個所も刺す間、だれも見ているだけで何もしなかった。結構時間が掛かったように思うのだが、だれも止めなかった。
 咄嗟のときの訓練が出来ていない。
暴力をもって立ち向かってくる相手には、手出しをしないで、逃げるように教育しているのかも知れない。または、係りの人を呼びに行く程度の事しか。教えられていないのかも知れない。
一番いい方法は大きな声を出す事である。
「なにやってんだ!」「馬鹿な事はやめろ!」と、だれかが大声を出したなら、ひるんだかもしれない。
普段から訓練していないと、いざというとき役に立たない。
いじめられたときも「いじめだ!」「やめてください!」とはっきり言う訓練が必要だ。
恥ずかしさの克服これも訓練しないと出来ない。
デパートなんかでの社員教育の第一歩は「おやようございます」「いらっしゃいませ」これを大きな声で言う訓練から始まる。
 知識なんかいくらあっても、実際の行動に出てこなければ、無いのと同じである。
先生がおどろかないから刺した。と言っている。
 最近の学校は、へこまない、昔の中学校なんかは木造だったから、廊下や、教室の腰板が蹴破られていた。面白くないことがあると、生徒が蹴飛ばすのである。
 昔、秋になると、学校で「いなご」取りというのがあった。
いなごと云う「バッタ」に似た昆虫を、先生も生徒も学校総出で稲穂が黄色くなった田んぼにいって袋に捕まえてくる。それを大きな釜で茹でて、羽をむしった状態にして、佃煮の材料として売るのである。
売ったお金で学校の備品や足りないものを買うのである。
 校舎が木造から、鉄筋コンクリートになり、テレビが入り、パソコンも入る。
全部税金で賄えるように日本は豊かになった。
それとともに、感謝がなくなった。
先生に対する尊敬がなくなった。
生徒に対する愛情がなくなった。
愛情でしかるのではないんだ、今の先生は!。
唯、規則に違反しているといって、叱るんだ、今の先生は!。
そんなことも、聞こえてくる。例えば、生徒がワイシャツの袖をまくっただけで注意される。其の先生が、ワイシャツの袖をまくって、はしり回っているのを見た事がある。
 英語の先生と言えば、昔はバリッとした背広を着ていた。
言葉だけでなく、文化を教えると云う気概があった。
そんな、カッコよさは、悪童どものいたずらの標的になった。
その、バリッとした背広に「黒板消し」を戸に挟んでおいて落としてやろうとしかけることが流行った。
生徒よりも、早く教室に入って、遅刻するやつの机にすわっているんだ。
先生の背丈が小さいから、うかりすると気がつかない。
「しまった!、今の悪口聞かれてしまった!」
こないだ、クラス会があって合う機会があったが、その先生も、元気がなかった。「胃潰瘍になってしまった。今の生徒があんまり悪いんで」と、嘆いていたっけ。
 服装と言えば、日露戦争のときに、イギリスの武官(医務官)が日本軍艦にのったときの報告書なるものに「日本の兵隊は幸せである」と書いてあるそうである。
「戦闘前に、下着を新しいものに交換する命令がでて、白い下着に着替える。そのために、負傷しても、傷が膿むことなく非常に衛生的である。
ロシアの兵は直接戦闘で亡くなるよりも、傷が膿んで亡くなる率が多い。このような配慮がされている日本兵は幸せである、こうまで兵の健康に配慮している例は世界でも類をみない。」と。
 学校が神聖な場所でなくなって久しい。
繁華街の道路と同じく、人が刺されて殺される。
「殿中でござる」
までいかないにしても、「教室でござる」が意味をなすようでありたい。
 つい、2、3年まえ、福岡の知事が先生のジャージ姿はみっともない。と云う事で先生に制服を着せようとしたら、先生の反対でつぶれてしまった。
彼女が廊下で刺されて死んだときに何を着ていたかは知る由も無いが。
ジャージーが最後の衣装だったのか。
「たとえ、どぶの中で死すとも、前を向いて死にたい」は、坂本竜馬の言葉らしいが、服装というのは案外雰囲気作りには影響がある。
 進歩的文化人は、ラフな格好をして労働者と一緒の顔をする。
最近の、子供たちは、ズボンなども作業ズボンに似たものをはいて、中にはズボンをずり落としてはいている。
ドロップ願望みたいのがあるらしい。
先生もなるべく子どもに合わせて、ラフな格好をする。
注意されても、懲戒権もない先生では何の痛痒も感じない。
むしろ、友達にシカトされる方がよっぽど恐い。
最近は、正座させても体罰だと騒がれるという。
肉体的精神的いかなる苦痛も体罰だというのである。
日本PTAで体罰についてアンケートを取ったところ「体罰が必要」が40%を超えている。
明治以来100年以上も体罰禁止でやってきて、体罰はなくなってもよさそうなものだが、無くなっていない。
 都合の良いときだけ体罰禁止、陰では、頭の形が変わるほど毎日ぶん殴られている部活もあるということを聞く。
体罰禁止だからゆうことを聞かない。
これは、言い訳ではないか。
体罰なしで、ちゃんと教育できる方法を編み出すのが「教育研究所」なのではないか。
文部省指定校という制度がある。そこで、研究されたものを、他の学校に展開するのが建前だが、実態は発表会で発表して、資料を配っておしまい。
取り入れるか取り入れないかは、教師の判断にまかされている。
いずれにしても、教室には教室としての凛とした雰囲気が必要である。
先生には、先生としての威厳が必要である。
 ナイフを持ち歩いている事が分かっていながら何故持ち物検査しなかったのか、と聞かれて、彼の学校の校長は、「人権」問題になるから「持ち物検査」はしていなかった。
「たしか、教員のマニュアルのどこかに書いてあったと思う」と語っている。
日ごろ、何でもかんでも相談しないと、機嫌が悪い、町の教育委員会は、こんなときだけ「学校の運営はすべて校長にまかせている。校長が判断してで行うべき問題」と逃げを打っている。
両方で、責任のがれをしている。
この事件のすぐ後で、また、学校の教室で傷害事件が発生している。
 さて、あなたのPTAはどうするか、先生もPTA会員である。会費もちゃんと払っている。会員である先生の安全確保はどうするのか。
会の目的である「子どもの幸せを守る」ために何をすべきか。
大部分のPTAの会則には「学校の管理運営には干渉しない」という条文がある。
では、どうするのか、唯、傍観するのか。
PTAの存在理由も問われているような気がするのだが。
(平成10年1月31日 金山 武)