検察審査会


検察審査会

2月の12日の夕方、電車の中で携帯ラジオを聞いていたら、国会中継をやっていた。、S党の代議士が先ごろ話題になった「小学2年生のひき逃げ事件」の事を質問していた。

ダンプカーに跳ねられて、ひき逃げされた両親が、不起訴になった理由を聞いても、「教える必要がない」と、検察官に突っぱねられて、両親が署名運動などで訴えていた。社会的にも問題になり、検察審査会で取り上げられて、審査された。

結局ひき逃げ犯には、ひき逃げの意識が無かったということで不起訴になった事が新聞にのっていたと思うが、その事件のことである。

質問の中で明らかになったのは、検察審査会の経過である。

先ず、検察審査会に両親が訴えたが、却下になってしまった。法的に、両親には訴える理由なしとして却下された。すなわち、検察審査会に審査を請求できるのは、被害者本人以外には申請できない事になっていると言う事。

ところが、この事件については、両親の申請は却下されたが、世論の影響を考えて、職権で審査委員会が開かれたというのである。

職権で開かれたことは開かれたが、審査会での結論は、運転手は飛び出してきた、小学生に気がつかなかったことは止むを得ないとして、再び不起訴になった。

議員による質問は、そこで当時の検察官が「検察審査委員会」のパンフレットを渡しただけで、不親切な態度を取ったのは「ケシカラン」という方向に移っていったが、不発に終わってしまった。

日本では陪審制の代替えとして、検察審査会があるのだが、今回明らかになった点は、被害者本人にしか提訴する権利がないと言う事である。

本人が死んでしまったら、検察官が不合理な処理をしても法的には、だれも文句を言えないように法律が出来ている点である。

こんな馬鹿な法律が50年も罷り通って来た。

法律を審議する代議士も法律自体を問題にするよりも、その時の現場の対応とか些末な事に時間を浪費している。

基本の法律を変えなければ、現場の対応を如何に変えようと、子供を殺された両親が、再審査を要求する権利は発生しないのである。

現在では、現場の対応で、事件処理の経過を被害者の関係人に知らせるように改善されたようである。

しかし、それは、現場の対応であって、法的に補償された権利ではない。検察官の都合でいくらでも元に戻る可能性がある。

法律を変えるのは、本当は国会である。

しかし、今は、役人である。

審議会やらを何回も開いて、また10年以上かかる。

議員が法律を提案できる能力を持たなければならない。

犬の遠吠の代議士では駄目である。

司法が余りにも専門化してしまって、庶民の感覚から離れてしまっている。これを何とかしなければならない

(平成11213 金山 武)