人に非らず

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 昔、滋賀県の琵琶湖を一周して御陵巡りをしたことがあった。その時に、刑務官でもう定年退職していて、勲章を貰った人と懇意になり、色々と話を聞く事があった。
彼の口癖は「懲役を連れて云々」であった。
何でも、服役者を何十人も輸送する仕事をしていて功績があって勲章をもらったとの事であった。
刑務官の第一の注意点は、笑わない事だそうである。
笑うと、甘いとみなされて、服役者から馬鹿にされ、色々とチョッカイを出されて、仕事が出来なくなる。
最初に言われる言葉が笑ってはいけない。
「笑ってはいけない」。これは一番人間にとってつらい事かもしれない。
笑う筋肉が、こわばって、笑っても良い場面でも笑えなくなる。
本人は仕事だから仕方がないとしても、家族も大変である。
可笑しい事があっても、絶対に笑わない人間が側にいる。
家族にもだんだん笑いがなくなって行った。
とうとう、奥さんが重症の胃潰瘍になってしまった。
そのとき、本屋で一冊の本に出会た。
そこには、笑う事の大切さを書いてあったそうである。
そこで、彼は笑う練習をはじめた。
まず、頬の筋肉をマッサージする。
そのあと、「ワッハッハ」と声を出して笑うのである。
そういうことを繰り返しているうちに奥さんの胃潰瘍がなくなり
かれ自身も昇進して、勲章を貰うほどになった。
笑う効果は素晴らしいらしい。
ところで、7月19日に、岡山刑務所の所長以下18人が、面会に来た政治団体の会長等を死傷させたとして書類送検されたと報道されていた。
報道されるまで、気がつかなかったが
なんでも今年の3月25日に岡山刑務所に、面会に来た政治団体の車の置き方をめぐってもみあいになり刑務官が取り押さえるときに行き過ぎがあったというのである。
どうも、報道内容を総合すると、宿直室に連れ込んで十数人で畳の上に押し付けたというのである。
会長は死亡、もう一人は意識不明になり、病院にいって息を吹き返したというのである。
十数人で手足を押さえつけたと言う事になっているが、どうすれば十数人が一度に手足を押さえて置く事が出来るのであろうか。
手足を押さえただけで、一人が死亡、一人が意識不明になるのだろうか。
お互いの体がじゃまになって、押さえることが出来ないのではないか。
立体的に押さえたと言う事が容易に想像できる。
15分間そのままにしておいたということであるから、立体的な重なりの重みで圧死したというべきであろう。
私は知らなかったが、週刊誌の報道などでみると、その後、政治団体の仲間が大型の車両に乗って押しかけてきて、岡山刑務所一帯は一時騒然となり、裁判所へ留置者を移送することが出来なくなったり、小学校の下校を市のマイクロバスで送るなどの影響も出たようである。
最初、刑務所側は行き過ぎがなかったと言っていたが、あまりに抗議行動がはげしく、4月の26日になって刑務所側が遺族に謝罪してやって事態が収集されたようである。
それから、警察の捜査が始まって、今回の書類送検ということになったようだ。
記録を調べると、岡山刑務所では、今年2月12日服役者が自殺しているのを始め。
平成9年6月と平成6年4月にも自殺者が出ている。
3年に一人の割合である。
まあ、関係ないとみるか、一連の事件に管理方針に欠陥があったと見るか
判断が分かれるところである。
報道界の対応を見るとY紙とM紙が割合報道しているのに対して、普段声高に人権を叫んでいるA紙は無関心を装うっている。
まあ、A紙にとっては、所謂政治団体なるのもは「人に非らず」と見ているのかも知れない。
所謂政治団体があるときの選挙で、「風の会」と言う名前で出たら、「虱の会」という名前で報道したとかいって、その政治団体の会長が、A新聞社の社長室で割腹自殺をしたことがあった。
A社にとっては、所謂政治団体は虱ぐらいにしか思っていないのかも知れない。
学校の卒業式を生徒が開催する人権については熱心に報道するが、「人に非らず」の人間が死んでも知らん顔。
まあ、どこかの政党が昔、社会主義国の核兵器は良くて、アメリカの核兵器は悪いと主張した事があるが、その事と一脈通じるものがあるのかな。
まあ、所謂政治団体も大型車とスピーカーという前近代的な装備で主張を繰り返しているが、新聞や、テレビにかなわない。
今や、物理的な肉体や命は、意味を持たないようになって来ている。
死が身近なものでなくなり、死の過程に立ち会う事がなくなって来ている。
すでに、バーチャルなものしか信じない世の中になって来ている。
そのことが、彼等には分かっていない。
メディアを制するものが世界を制するのである。
紙に書かれたもの、言葉が実態を持つのである。 「言葉は神なりき」と聖書に書いてあるように
本当の力は無形の「言葉」であることを知らない
しかし、インターネットは便利ですね。
「岡山刑務所」をキーワードにして、で引くと色んな事実が分かるし、どの新聞がどんな報道をしているかも簡単に比較出来る。
それも、相当前の事も良く分かるのである。
書かれなかったものは、存在しなかったという時代になりつつある。
うそでも書かれたものは真実になる。
だから、真実を書いて置かなければならない。
結構うそと本当が見えてくるものです。
最近、先生が女子中学生を人違いで体罰を与えていた事が報道されたが、先生も刑務官も一旦思いこみがあると狂人に変わる事があるということである。
正義の側にいれば、何をやっても良いというわけではない。
一種の狂気になるというのは、ストレスがたまっているからではないか。
単に、研修とか規則で指導するだけでなく、もっと人間的な環境を考えてやる必要があろう。
冒頭のべた笑いの練習なども、おおいに効果があるのではないかと思う。
人間余裕がないと、相手の立場にたったものの考え方が出来ない。
学校も刑務所も教育を目的としている。
人間を矯正するとか、教育するとかするのは、大変難しい事である。
しかし、あきらめてはいけないし
やはり辛抱強く
やらなければならない。
そういう意味では、学校の先生も刑務官も、やはり一種の聖職なのである。
短絡的な熱血先生的な対応では駄目なのではないかと思う。
宗教的な修行を積んだものでないと「人に非らず」に愛を注ぐことは出来ない。
人は神に似せて作られた。
本当は、人は神なのである。
神に奉仕するように罪人にも奉仕しなければならない
これが、刑務官の心構えである。
と、彼が言っていたことを思い出した。
暖かく包んであげるような対応がのぞまれる。
自分自身の身を清く保たなければならない。
精進、また精進
うそを言ってごまかそうとしてはいけない
「人に非らず」と思ってはいけない
どんな姿をしていようと、どんな罪をおかそうと
人は人として尊重されなければならない