ガラス窓理論

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たしか、ニューヨークが犯罪都市といわれたときに

「ガラス窓理論」と言う事が言われました。
空家のガラスが割られる。
最初は小さな穴だけど
放っておくと、大きな穴になり
そのうち、家全体が犯罪者の溜まり場になってしまう。

ニューヨークの新しい市長が
その理論を引っさげて選挙に立ち
当選しました。

それまでは
あまりにも事件が多いので小さな事件にまで手が回らなかった。

あたらしい市長は
逆の事をしたのです。
大きな事件を後回しにして
小さな事件を徹底的に取り締まった。
その結果、犯罪発生が極端に減った
と先日ラジオで言っていました。

そのことで思い出しました。
服装の事も
茶髪の事も
ある面では小さい事にきっちり対応すると言うガラス窓理論に合致しているのではないかと
さんざん校則の問題が取り上げられましたが
やはり、校則がゆるくなるのに比例して少年犯罪が増えてきているような気がします。
日本の警察も、小さな事件に手をつけたがらない
風潮があります。

多分結構忙しい。
日本の裁判が長いのは有名ですが
あまりにも完全主義
それに耐えられるように
警察は山ほどの書類を作らなければならない
そんな事情があるのではないでしょうか。

大分前、車のフェンダミラーを壊されたので
警察に届けたら
詳細な図面を2人係りで半日も掛かって作り上げて
それっきり
書類が出来れば良いみたいな所があります。

裁判にも問題があって
警察がせっかく逮捕しても
直ぐ釈放してしまったり
刑期の途中で出てきてしまう。

また、裁判官が悩んだ末に死刑の判決を出しても
死刑が執行されないと言う問題もあります。

大分前になりますが
暴走族の少年をパトカーで追跡していたら
少年がハンドル操作を誤って
転倒してしてしまって
死んでしまった事があります。

親が、警察を訴えて
裁判の結果、警察の方が悪いという判決が出たという事があります。
たしか福島で起こった事件だったような。
これでは、暴走族を追っかける警察官は居なくなってしまう。
現にのろのろと暴走族の後をついていくだけになってしまった。

そんなことが続くと
現場がやる気を無くす。
最近の警察の色々な問題を見ているとやる気をなくしているような
面があります。
昨日、警察庁が出した警察不祥事に対する対策はホームページに
警察の規則や通達をのせて情報公開しますとか言っていましたが
なんかピントがずれていると思いませんか。

中学生の5000万円恐喝事件でも
ラジオで
学校と警察と地域の連携とか言っていました。
また、大事なサインを見落としたとか言っていました。
学校が分からなかったというのは、真っ赤な嘘のように
思えます。
その嘘つきが、厚顔にも、今日も教育をやっている。

親が相談に行っても何もしない人たちが連携して
どうしようというのでしょうか
何かというと、連携とか何とか言って
焦点をばかしているような気がします。

それぞれのセクションがそれぞれのセクションで
きちんと事に当たるということが成されない限り
ゼロに何を掛けてもゼロになるように
問題は解決しない。

聞くところによると
被害者家族に対応を指南したのは
たまたま被害を受けて入った病院の同じ部屋に居た
ヤクザの組長の息子さんだったとか

見てみぬふりをしている堅気の人に比べて
「強気をくじき弱きを助ける」義侠心の香りがします
まあ、学校の校長さんはじめ、地域の人たちも
知っていて見て見ぬふりをしていたとかいわれていますが
どうしてなんでしょうね
やはり、報復が怖いとかそんなことも
あるのでしょうか

ふだんは全然協力しないのに
何か事があると警察に持ちこんで
結果が出ないと警察が悪いという。

そんな、空気があるのではないかと思っています。

まあ、普通の子どもの犯罪が多いといわれていますが
大事にされる事になれてしまった子どもは
親の政治力とか、弁護士の力でなんとかなると
たかを括っているふしがある。

やはり、契約社会の話ではないですが
決まっていることはきちんとやることが必要なのではないでしょうか。
死刑も判決がおりたら執行する期間が決まっている訳ですし,
ルール通りに執行した方が良いのではないかと思います。

その方が、凶悪犯罪は減るのではないでしょうか。
判決が下りても何十年もそのままになっている。
裁判の場面だけ一生懸命やっても
それが実行されなければ
意味がないと思います。

少しずつのずれが大きくなっていくような
気がします その辺からの見なおしも必要なのではないかと思います。
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