寺入り

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  安永4年(西暦1776年)未閏12月 上州緑埜郡三波川村(現在の群馬県多野郡鬼石町)の村役人から代官所宛てに出された一通の書付がある。
おそれながら書付をもって申し上げ候(そうろう)ではじまり、百姓源右衛門方か夜10時頃出火、折りしも東南の風にあおられて、隣家三軒が類焼、村中の人が駆けつけ、消火に当たった。
その間、消火の為長右衛門、門右衛門の家を押しつぶしたが幸い人馬に怪我無く無事鎮火した。
出火の原因は、百姓源右衛門が昼ごろから和紙の原料である楮(コウゾ)を台所の竈(カマド)で煮ていたがつい居眠りをしてしまい、付近の枯れ木等に燃え移ったとある。
村にとっては大変な迷惑行為であり、当時の出火の責任は重大であった。
源右衛門無調法至極、迷惑に存知奉り候と非難している。
ところが、源右衛門は当村金剛寺へ入寺してしまったので、代官所に訴えますという書状である。
 入寺とは、お寺に逃げ込んだということである。

 当時のお寺は、一種の治外法権を持っており、直ぐに行政府の力が及ばなかった。
 これ以後の、法的手続きは、勘定奉行、老中会議、寺社奉行への追い出しの指示ということになるが、実際には時間がかかり、その間に、頭を丸めて坊主になってしまえば有耶無耶になってしまったようだ。
 昔から駆け込み寺という言葉があったが、実際の文書に接したのは初めてであった。
江戸時代の刑罰は苛烈を極めるものであったが、入寺という法的な安全弁があった。

これは想像であるが、入寺は一種の終身刑ではなかったのではないだろうか。
いくら寺でも罪人をかくまって安穏な生活をさせたのでは、世間が承知しない。
やはり、一生外出できないし、寺の中での強制的労働が待っていたのではないかと思う。

一種の終身刑の選択ではなかったのか。
そのような世間との了解の上に寺入りという制度が存続できたのではないだろうか。

 現代の制度では寺入りという制度は存在しない。すべて罪刑法定主義で几帳面に処理することで成り立っている。
寺入りのような安全弁はない。

 8月28日山口県徳山市で起きた、女子専門学校生の殺人事件は容疑者の少年が自殺してしまった。
これも、几帳面に法を適用した弊害ではなかろうか。

少年法によると一見少年が過保護ともいえる程保護ざれているように見えるが、
今回少年法による報道規制が逆に働いて、自殺という結果を生んだ。
必ずしも保護は行き届いているとは思えない面が見えてきた。

昔、宮本武蔵なども少年時代乱暴が過ぎて寺に預けられた。

マスコミは知る権利ということで実名報道した出版社もあったが、自殺までは報道規制に従った。
TVのコメンテータなどは良く、何が真実だったか知りたいと言い。
裁判も「真実を明らかにする」というのだけれども、麻原裁判に見るように、真実は明らかになることはない。
真実が明になったとしても、必ずしも再発を防止することに繋がることになるとも限らない。
法的保護なんて絶対的ではないのにあたかも法にしたがっていれば安全だと勘違いしている。
たしかに、警察は法の影で安全であったけれども、女子学生も加害の少年(?)も救えなかった。
埼玉県の桶川での女子大生の事件でも警察の保護を求めていても、警察は有効に動かなかった。
秋田の、子どもの殺人事件でも、警察は有効な働きをしていない。
法は所詮権力を護るものであって、庶民を護るものではないとの主張もある。

彼が、19年生きた中で、誰も別な解決方法を教える事が出来なかった。
文科省がさかんに「生きる力」とか言っているけれども、実際に役に立つ教育になっていない。

楽な仕事として教師の仕事を選んだ「でもしか先生」には、「生きる力」なんて教えようがない。
生きるか死ぬかの瀬戸際に追い詰められた人間が体験で教えるしかない。

最近、元暴力団の組長が夜の街で、少年少女の補導をしているのをTVでやっていたが
「夜回り先生」などもいるが、個人的な活動では限界がある。

文科省が最近、居残り教育をやりたとか言い出した。
学力低下対策とか言っているが、本当の目的は退職教員の救済である。

これ以上、塾と競争して知育に励んでどうしようというのだろうか。

ほかの所で、暴走族とか不良少年グループから離脱するためのシェルターの提案をしたことがあるが
家庭内暴力についてのシェルターは、既に社会的認知を得てNPOなども活動を始めている。

犯罪少年の報道規制だけでは不十分である。
更正と社会復帰を出来るようにする必要がある。

少年院を出た少年については、現在保護観察ということで、保護司が面倒を見ているが、
それに変わる制度として、希望した者に対して、前歴を隠して、住んでいた土地から離れて生活を出来ように。
住む場所や、仕事を提供するする。
精神的なカウンセリングも出来る施設。
前歴がバレそうになったら、別な場所に移動できる。
そんな組織なり制度なりが必要なのではないか。

本当に、少年の更生、社会復帰を図るためには、現代の寺入り、シェルターが必要ではないか。

(平成18年9月10日 金山 武)


 

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