うつぶせね

「私」がうつぶせになって寝ていると、ママやパパはそのつどあおむけにしてしまう。

「私はうつむいてねるほうがらくなんだ。大地にしっかりつかまっていたいんだ。やわらかいフトンに胸をおしあてているほうが、気持ちがいいんだ」。

(松田道夫著「私は赤ちゃん」(岩波新書)より)

長女が、「昭和49年」に産まれたとき、妻が「うつぶせね」を聞いてきて、うつぶせねにしたことがあった。

しかし、どうも「うつぶせね」はつらそうだった。

そこで、我が家ではあおむけに寝させることにした。

しかし、しっかりと「うつぶせね」をつづけた人も、熱心に勧めた医療機関もあったらしい。

最近「赤ちゃんの突然死」が話題になっている。

最近の厚生省検討会の発表によれば、「うつぶせね」の方が「あおむけね」より3倍も危険度が高いらしい。ほかにも、喫煙とか、人工乳も原因と考えられているようである。

松田氏が、本を出した昭和35年当時は、なんでも反対にすれば良いというのが流行だった。

それが、新鮮に映ったものだった。

また、科学が万能の神話の時代だった。政党でさえも科学的○○と称した。

科学的○○には水戸黄門の印篭のごとく、たいがいの者がひれ伏した訳で、

なんでも、科学的○○だった。

科学的○○にかぶれていない赤ちゃんには、そうは都合よくいかないわけで、うつぶせにすると「むずかる」わけで、とても親として見ていられなかった。

科学的○○よりも、自然が発する信号に素直に従うべきなのである。

それらの信号を無視すれば、やはり「死」に至ることがあるのである。

やはり、自分でものを良く見ることが大切である。

大分前になるが、高校生が、女子高校生を監禁して、セックスを強要し、最後には殺して、死体をドラム缶にコンクリート詰めにした事件があった。

両親ともある政党の熱心な活動家で、母親はたしか看護婦だったと思うが、そちらの活動で息子をほったらかしにしていたらしい。

犯行はその家の2階で、1ヶ月近く続いたのに、全然知らなかったらしい。薄々知ってはいたが、何も言えないかったのか、良くあるパターンである。例によって強力な弁護団が結成されて、現在も第2審の裁判中ではないかと思う。

PTA活動も、親が家を空けることが多い。結構PTA役員の家庭の子どもが問題を起こすことがある。

現在のPTA役員の負担は非常に大きい。私でさえ、去年PTAで出かけたのは、40回近くにのぼった。県の連合会の会長ともなると、200回以上にのぼるらしい。

やはり、負担の集中をさけるような工夫が必要になってくるのではないか。

会議なども、e−meilを活用すれば、3分の1ぐらいに減らせるのではないか。

それから、役所の会議が多すぎる。同じような目的の会議がいくつもある。中央省庁の縦割りがそのまま会議の多さにつながっている。会議の粗製乱造、屋上屋のオンパレードである。

役所関係の会議の整理が必要である。

PTAの目的から考えると、基本は家庭であって、子どもとの時間をどう確保するかということなのではないだろうか。そのような面からの見直し、「うつぶせね」から「あおむけね」への転換が求められているのではないだろうか。(平成10年6月6日)